8月、第2次世界大戦末期の広島への原爆投下に関する催しが、ハノーファーで開かれました。ハノーファーは広島市と姉妹都市提携を結んでいることから、毎年この時期に広島の原爆犠牲者を追悼する催しを開いています。今年は市南西部にある「広島祈念の杜」で、ブラウンシュヴァイク在住の映像作家、国本隆史さんの作品を観ながら、被ばくや核について議論しました。
原爆を考えるイベントに参加したハノーファーの副市長(左)と、映像作家の国本さん
広島祈念の杜には広島市から贈られた桜の木と、爆心地付近の石を使った観音様の石碑があります。ここに植えられている110本の桜は、原爆によって亡くなった11万人(ドイツ語では110,000と書かれます)を象徴しています。国本さんは2008年、103人の被ばく体験者を乗せて行われた「ヒバクシャ地球一周:証言の航海」(企画: ピースボート)に同行し、ドキュメンタリーを撮影しました。大学時代、被ばく者の体験談の聴き取りをしたことがあり、このテーマに興味を持ったそうです。
映像では、被ばくとは何か、また被ばくについて被ばく者本人や、ほかの人がどう捉えているかが、国本さんの視点で綴られています。船に乗った被ばく者たちは、ベトナム戦争中に撒かれた枯葉剤の被害者や、ギリシャでの戦争時の虐殺の生き残りの人たちと交流したほか、原爆のことを知らない若者と出会って、日本では周知の事実である原爆の恐ろしさについて、全く知らない人がいることに驚きます。被ばく体験に対する感じ方は人それぞれで、各人の個人的な意見を集約することで全体像が見えてくるのだという気がしました。
映像を鑑賞した後、参加者から「被ばく者は、福島の原発事故を受け、原子力発電のことをどう考えているのか」という質問が出るなど、活発な討論が繰り広げられました。来年は終戦と原爆投下70周年ですが、ハノーファーの副市長はこの映像を学校の生徒たちに見せ、平和について考える機会を持ちたいと考えているそうです。国本さんは、「ドイツ各地で上映し、原発や放射性廃棄物のことも含めて、核と私たちの生活の関係について議論する場となれば」と願っています。被ばくした人たちは高齢化し、減っていく一方。被ばく経験をどう語り継いでいくかが大きな課題となっています。
広島祈念の杜で、被ばくについて語る日本からの平和大使
また、今年は家族に被ばく者を持つ広島と長崎からの高校生と大学生が平和大使としてハノーファーを訪れ、原爆に対する想いを語りました。第2次世界大戦で屋根の抜け落ちたエギーディエン教会でも、平和を願って被ばく者を追悼する式典が開かれ、夜は市庁舎の池で灯篭流しをしました。
日本で新聞記者を経て1996年よりハノーファー在住。社会学修士。ジャーナリスト、裁判所認定ドイツ語通訳・翻訳士。著書に『市民がつくった電力会社: ドイツ・シェーナウの草の根エネルギー革命』(大月書店)、共著に「お手本の国」のウソ(新潮新書) など。