メンデルスゾーンというと、多くの人はまず作曲家のフェリックス・メンデルスゾーン(1809~1847)を思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、ベルリンに住んでいると、彼の祖父モーゼス・メンデルスゾーン(1729~1786)の名に出会う機会は少なくありません。そのモーゼスを主題にした特別展「私たちは啓蒙だけを夢見ていた」が、ベルリン・ユダヤ博物館で開催されています。
ユダヤ博物館の展示から。モーゼスが生きた時代のベルリンの地図
最初の部屋に入ると、都市の雑踏や馬車の音に包まれます。1743年、当時14歳のモーゼスは、出身地のデッサウから尊敬するユダヤ教のラビを追いかけて、徒歩で5日かけてベルリンにやって来ました。展示は、モーゼスが(現在の博物館の近くにあった)ハレ門よりベルリンに入るところから始まります。彼は裕福なユダヤ商人の子どもたちの家庭教師をし、後にその家族が経営する絹織物工場で簿記の仕事をするなどして生計を立てながら、ほぼ独学で哲学を学びました。
この展覧会のタイトルがモーゼスの手紙の一節から取られているように、時は啓蒙主義思想の花盛り。展示では、モーゼスが劇作家のレッシングや出版者のフリードリヒ・ニコライなど優れた知識人たちとの交流を通じて、哲学者、著述家として飛躍していく過程が紹介されます。
モーゼスが生きた時代、ユダヤ人は差別や偏見に満ちた現実に置かれていました。1750年、フリードリヒ大王が発表したユダヤ人の生活に対する規約によれば、「不正規ユダヤ人は結婚することも子どもを持つことも許されない」。多少の優遇を受けたモーゼスは、ハンブルク出身のフロメット・グッゲンハイムと恋愛結婚し、家庭を持つことができました。しかし当時ユダヤ人が結婚するためには、大王が設立した王立磁器工房から高価な陶磁器を買うことが義務付けられていたと知り、驚きました。そこに展示されていたサルをモチーフにした磁器は、20世紀までメンデルスゾーン家で代々受け継がれていたものです。
1783年に描かれたモーゼス・メンデルスゾーンの肖像画
理性への信頼、信仰の自由、そして寛容と平等の価値観。モーゼス・メンデルスゾーンの先見性に富んだ思想は改革派から称賛された一方、ユダヤ教の伝統を重んじるシオニストからは社会への同化の責任を負わされました。
「社会への統合は文化的なアイデンティティーを弱めるのか?」「異なる考えの者と対話するには?」「フェイクニュースをどう止めるか」「教育で全てを成し遂げられるか」。この展覧会のパンフレットには、今日の世界が抱える問題と意識的に絡めた問いが投げかけられています。まさに今、向き合うことに意義のある人物と感じました。当特別展の開催は9月11日(日)まで。
ベルリン・ユダヤ博物館:www.jmberlin.de