2008年10月30日、ベルリンと共に長らく歩んできたテンペルホーフ空港が、ついにその幕を閉じました。最後の2日間の様子をリポートしたいと思います。
テンペルホーフ空港最後の夜
29日午後。いつもはガラガラの空港の本館ターミナルが、往年を彷彿とさせる賑わいを見せていました。翌日のセレモニーは関係者のみを対象にしたものだったため、多くのベルリン市民はこの日、テンペルホーフ空港へ個人的な別れを告げに訪れていたのでした。カメラでひたすら記録に収めようとする人もいれば、テレビのインタビューに空港の思い出を語るご年配の姿も。
その後、自転車に乗って386ヘクタールの空港敷地の反対側へ行くと、そこにもフェンス越しに飛行機の離着陸の様子を眺める人たちが大勢集まっていました。「あの向こうに小さな丘があるから行ってみなさい」と通りがかりの人に勧められて行った先は、民家すれすれに着陸する飛行機を臨むのに格好の場所でした。1948年から49年にかけてのベルリン空輸作戦で、米軍機からの食料を待ち受ける子どもたちをとらえた有名な写真は、ここで撮られたのだとその時わかりました。
着陸シーンをカメラに収める人々。
ベルリン空輸の有名な写真はここで撮られた
30日20時から、約800人のゲストを招いた非公開のお別れディナーがヴォーヴェライト市長の挨拶で開始。一方外では、空港閉鎖に反対する人々による最後のデモが始まっていました。21時55分には、マンハイム行きの最後の旅客機が離陸。23時を過ぎ、私は最後の飛行機を見るべく空港の南側へ歩いて行きました。本館から地下鉄1駅分歩いてようやく滑走路が左手に広がってくると、フェンス越しには人・人・人。警備にあたる警察の人までもが、固唾を呑んでその瞬間を見守っています。
そして23時55分頃、ルフトハンザ社の戦前を代表するJu52機と、ベルリン空輸で活躍した通称「干しぶどうの爆撃機」という、この空港の歴史を象徴する2機が、同時にゆるやかな弧を描きながら自分の頭上を飛び去って行きました。どこからか、トランペットが奏でる「蛍の光」のメロディーが聞こえてきます。やがて人々の歓声の中、ろうそくで灯した提灯が、次々と滑走路の上空に放たれていきました。テンペルホーフ空港85年の歴史に幕が落とされたのです。
久々に賑わった空港本館