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ベルリンに帰った貴志康一

1930年代前半、ベルリンで信じられないようなキャリアを築いた若き日本人音楽家がいました。その名は貴志康一。大阪の商家に生まれ、ジュネーブとベルリンでヴァイオリンの研鑽を積みながら、ヒンデミットに作曲を、フルトヴェングラーに指揮を学び、25歳でベルリン・フィルを指揮するという快挙まで成し遂げます。交響曲や歌曲、オペレッタまで多くのジャンルで曲を残したほか、映画製作にも力を入れ、並々ならぬ意欲を持って日本文化の紹介に努めました。しかし帰国後、わずか28歳で急逝すると、戦中・戦後の混乱の中、その名は忘れ去られていきました。

©甲南大学貴志康一記念室所蔵
©甲南大学貴志康一記念室所蔵

2009年は貴志の生誕100年目に当たる記念の年。生まれ故郷の関西を中心に彼への関心がじわじわと高まる中、ベルリン日独センターが、展覧会「貴志康一、ベルリンに帰る」を貴志に縁のある甲南大学と共催しました。日本大使館や甲南大学の関係者も出席したオープニング式典の様子をお伝えしたいと思います。最初に、今回の企画の実現に尽力したソプラノ歌手の中嶋彰子さんが、貴志作曲の「赤いかんざし」と彼の編曲による「さくらさくら」を情感豊かに歌い上げました。中嶋さんは、この日の昼に行われたフィルハーモニーでの「ランチコンサート」でも貴志とその同時代の音楽を紹介し、大変好評を博したそうです。

オペラ歌手の中嶋彰子さん
貴志に魅せられたというオペラ歌手の中嶋彰子さん

また、貴志が製作した短編映画2本が上映されたほか、ベルリン・フィルの資料室長ヘルゲ・グリューネヴァルトさんによる1930年代のベルリンについての小講演や、写真や楽譜などから成る展示物によって、貴志のマルチタレントぶりと彼が生きた時代背景が鮮やかに浮かび上がってきました。中嶋さんによると、貴志の音楽がベルリンに鳴り響くのは記録を遡っても70数年ぶりだったそうで、戦前、必死に日独の橋渡しに努めたこの若き音楽家が、確かに「第2の故郷」であるベルリンに帰って来たのだと実感しました。当展覧会は、日独センターにて4月17日(金)まで開催されています。

貴志康一が生きた時代のベルリンについて語るグリューネヴァルトさん
貴志が生きた時代のベルリンについて語るグリューネヴァルトさん

 
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中村さん中村真人(なかむらまさと) 神奈川県横須賀市出身。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。現在はフリーのライター。著書に『ベルリンガイドブック』(学研プラス)など。
ブログ「ベルリン中央駅」 http://berlinhbf.com
守屋健(もりやたけし)
ドイツの自動車、ビール、そして音楽に魅せられて、2017年に渡独。現在はベルリンに居を構えるライター。健康維持のために始めたノルディックウォーキングは、今ではすっかりメインの趣味に昇格し、日々森を歩き回っている。
守屋 亜衣(もりや あい)
2010年頃からドイツ各地でアーティスト活動を開始し、2017年にベルリンへ移住。ファインアート、グラフィックデザイン、陶磁器の金継ぎなど、領域を横断しながら表現を続けている。古いぬいぐるみが大好き。
www.aimoliya.com
佐藤 駿(さとう しゅん)
ドイツの大学へ進学を夢見て移住した、ベルリン在住のアラサー。サッカーとビールが好きな一児のパパです。地元岩手県奥州市を盛り上げるために活動中。
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