ジャパンダイジェスト

建築ミニ案内 プラーガー通り

ドレスデン中央駅から北へ出て、中心地の真ん中を抜ける通り、それがプラーガー通り(Prager Str.)です。大勢の市民と観光客が活発に行き交う、まさにドレスデンのメインストリート。中央駅からプラーガー通りへ出ると、規則的に並ぶ四角い工業的な建物が目に入ってきますが、ドイツらしい木組みの家が並ぶ風景を期待して訪れた人には、この社会主義的な要素が強い建築には軽いショックを覚えるかもしれません。さらに進むと大型ショッピングセンターが軒を連ね、通りの名前が変わるその先にはレジデンツ城をはじめ、聖母教会やゼンパーオーパーなどのバロック建築が立ち並びます。

ツェントルム・ギャラリー
長方形のホテルと突起物が象徴的なツェントルム・ギャラリー

欧州の産業革命時代真っただ中の1851~53年、ドレスデンにおける産業拡大を背景に、プラーガー通りは建設されました。市の中心部という場所柄、その後すぐにショッピングストリートへと発展していきます。しかし、1945年のドレスデン大空襲で壊滅的な被害を受け、広大な焼け野原の再建は東独時代に行われました。長方形の建物や高層建築、パビリオン、円形映画館用の低い建物を構成要素とし、まるで積み木のように配置していくというのは、東独特有の都市計画の手法であり、「社会主義建築」として括れるでしょう。聖母教会の頂上など、高いところからドレスデンを見下ろすと、いくつかこの構成による都市計画の実例を見ることができます。建物同士の間にできる空地(くうち)は広過ぎるように感じられますが、空襲による火災旋風が発生した際に、ひしめく建物が避難を妨げたこともあり、建物の密集を敬遠したのです。

プラーガー通り
左側がドイツで2番目に長い集合住宅

この通りの東側に圧倒的な存在感を誇って建つのが全長250mの集合住宅。国内ではライプツィヒにある330mの集合住宅に次ぐ長さで、恐れ多くも近代建築の巨匠ル・コルビュジェ(1887~1965、スイス生まれ、フランスで活動)の集合住宅ユニテ・ダビタシオン(マルセイユ)を手本としています。10年前までは経年変化によって醜い姿をさらしていましたが、このたび全面改修を経て生まれ変わりました。銀色の突起物が象徴的だったショッピングセンターも取り壊され、その跡地にはツェントルム・ギャラリーが新たにオープンしました。突起物が外壁を覆うデザインを踏襲し、社会主義時代という過去の記憶の継承として、このプラーガー通りの語り部の役割を担っています。

現在のプラーガー通りはほぼ完成していますが、中央駅前広場は1991年にレーニン像が取り壊されて以来、四半世紀もの間、更地のまま。その完成はまだ先のようです。


 
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