ジャパンダイジェスト

小エルサレム以上の存在ハンブルクのユダヤ人

ドイツにユダヤ人が初めて来たのは、歴史上は321年、ポルトガルからであるとされています。今年はそれから1700年に当たり、ドイツ国内ではいくつかの記念行事が計画されているようです。ハンブルクでもケルバー財団のイニシアティブにより、2月22日~28日まで「小エルサレム以上の存在」(Mehr alsKlein-Jerusalem)と題したテーマウィークが開催されました。同財団は1959年に設立された公益団体で、ドイツ国内の民族や社会グループの相互理解のために、さまざまなプロジェクトを企画しています。

今回のテーマウィークでは、ハンブルクにおけるユダヤ人の歴史と今後の展望に関する講演会のほか、ユダヤ教のお祭り「プリム」の紹介やシナゴーグ跡の見学、コンサートなど、連日興味深い催しが用意されていました。しかし、新型コロナウイルスの影響で、いくつかのプログラムは残念ながら中止に。講演会やコンサートは、ライブ中継で行われました。

戦時中にユダヤ人を移送した地に立つ記念碑戦時中にユダヤ人を移送した地に立つ記念碑

私は、これらのプログラムの中から二つの講演会を視聴しました。一つ目はオープニングのパネルディスカッションで、ハンブルク第二副市長のフェーゲバンク氏をはじめ、ユダヤ人の歴史研究家や文化コーディネーターなどが招待されていました。

商業都市であるハンブルクはユダヤ人が活動しやすい街であり、19世紀には大きなユダヤ人地区ができていたとのこと。そのため、ハンブルク内にはユダヤ人ゆかりの記念碑がいくつも残されています。1906年に完成したシナゴーグは500の会衆席を有し、北ヨーロッパで最大だったとか。しかし第二次世界大戦中にこのシナゴーグは破壊され、住んでいたユダヤ人は全員収容所へ移送されてしまいました。ハンブルクからユダヤ人の姿は消えてしまったのです。

ユダヤ人墓地の跡地に立つショッピングモール内には、墓碑銘が刻まれたプレートがありますユダヤ人墓地の跡地に立つショッピングモール内には、墓碑銘が刻まれたプレートがあります

それでも戦後、ユダヤ人は再びハンブルクに戻って来ます。講演会で、文化コーディネーターの方は「私自身はハンブルクに住んでいて、ユダヤ人という理由で差別されたり、辛い思いをしたことはない。ユダヤ文化を通して、ユダヤ人とドイツ人の懸け橋になりたい」と話していました。

二つ目の講演は、世代の違うユダヤ人作家による、ホロコーストについてのディスカッションです。戦争直後に生まれた世代の作家たちは、彼らの親たちにとってホロコーストの記憶があまりに生々しく、そのことに対して固く口を閉ざしていた、と語りました。一方で世代が下るにつれて、ホロコーストを「歴史」として客観的に捉えることが可能になったようです。このように歴史を踏まえて対話を行い、より良い未来に向かって共に歩んで行こうとする姿勢が素晴らしく、同じ敗戦の歴史を持つ日本人としても学ぶところが大きいと感じました。

井野 葉由美(いの はゆみ)
ハンブルグ日本語福音キリスト教会牧師。イエス・キリスト命。ほかに好きなものはオペラ、ダンス、少女漫画。ギャップが激しいかしら?
www.nd-jcf.de
www.facebook.com/ndjcf

 
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