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今だからこそ行ってみたいミュンヘンのユダヤ博物館

昨年10月7日、イスラエルにおいて、テロ組織ハマスによる虐殺と誘拐が行われ、それに端を発する戦闘がこの原稿を書いている今も続いています。欧州は、ローマ時代以前から離散ユダヤ人が住んでいて、常にユダヤ人と関わり続けてきました。一方、日本人は、地理的に遠く離れていることもあり、歴史的な認識度も低いため、この争いについて分からないことも多いのではないでしょうか。そこでこの機会に、以前から興味のあった、ミュンヘン中心部にあるユダヤ博物館に行ってきました。

右側がシナゴーグ、左側がユダヤ博物館右側がシナゴーグ、左側がユダヤ博物館

この博物館は2007年にオープンしました。その前年にミュンヘンの新市庁舎とゼンドリンガー門の間にユダヤ人の礼拝所、シナゴーグが完成。同館はそれに隣接しています。ユダヤ博物館といえばベルリンが有名ですが、同館の特徴はミュンヘンに住むユダヤ人の歴史に焦点を当てているところです。

過ぎ越しの食事のプレート。何を載せるのかが説明されています過ぎ越しの食事のプレート。何を載せるのかが説明されています

バイエルン地方でユダヤ人として、最初の住民登録が確認できるのは、1229年レーゲンスブルク。その後、ミュンヘンでも商人などが増えていき、シナゴーグも数カ所設立されました。しかし、1938年にヒトラーの命により最初のシナゴーグが破壊されます。1945年までに3000人以上のミュンヘン在住ユダヤ人が追放され、殺害されました。戦後、ポーランドなどで生き残ったユダヤ人の多くは、ミュンヘンに帰還する道を選ばなかったようです。一方、米国在住ユダヤ人などがビジネスチャンスを求めてミュンヘンに移住するようになり、2005年には1万人弱のユダヤ人がミュンヘンで生活するようになりました。

ミュージアムショップにはユダヤ関連の書物やグッズがそろっていますミュージアムショップにはユダヤ関連の書物やグッズがそろっています

常設展では、ユダヤ独特の祭りに用いられる器具などが展示されており、雄羊の角笛、過ぎ越しの祭り用の食事を載せるプレート、割礼用具などの非常に興味深い物を見ることができます。ミュンヘンの地図の上には印が立っており、戦争前、その場所にユダヤ関連のどのような施設があったかが紹介されていました。

また、ミュンヘンに暮らすユダヤ人の心情を音声や漫画で表現されており、彼らの立場に立って考えることができるのも面白い試みです。例えば、「私はバイエルンで生まれ育ち、自分がユダヤ人だとは知らなかった」という証言は、ユダヤ人であることを隠して生きなければならなかった背景がうかがえます。また「私はユダヤ人であり、バイエルン人でもある」という証言からは、二つのアイデンティティーを持ち、しかも、両者が平安に共存できている状況が感じ取れました。民族として、ひとくくりにして敵対し、憎悪を燃やすのではなく、一人ひとりの人間として向き合っていきたいとあらためて思いました。

井野 葉由美(いの はゆみ)
イエス・キリストに出会って、声楽専攻から牧師に転身。2022年よりミュンヘン日本語キリスト教会牧師。今でも少女マンガ、オペラ、ダンスは大好きです。 www.muc-japan-christ.com/

 
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