「ここにいらしたのですね!」。思わず、こう声をかけたくなりました。2月初頭、一時帰国で広島を訪れた時のことです。
広島国際会議場に展示されたヴァスコンチェロス作の和解の像
私が見つけたのは、英国の彫刻家ジョセフィナ・デ・ヴァスコンチェロス(1904-2005)作の「和解」と名付けられた像。最初にこれと同じ像に出会ったのは、ベルリンのベルナウアー通りにある「ベルリンの壁記録センター」でした。東西を隔てる壁が悲劇を生んだベルリンで、2人の男女が抱き合うこの像は、ドイツの再統一と和解を表現したようにも見えます。
ベルリンにある像の前の説明プレートには、「同じ像が英国のコヴェントリー大聖堂と日本の広島平和記念公園にも置かれています」と書かれており、私は長い間気になっていました。以前広島を訪れた際には見つけられなかったのですが、今回広島平和記念公園内の国際会議場の入口ホールでこの像と対面することができたわけです。
元安川のほとりに建つ原爆ドーム
そもそもヴァスコンチェロスはなぜこの像を造ったのでしょう。この像のオリジナルが製作されたのは1977年。それは後に、世界的に著名な平和研究センターを持つ英国のブラッドフォード大学に贈られました。
作家自身は、作品についてこう語っています。「この彫刻の着想を得たのは、第二次世界大戦の終結直後。ヨーロッパはショックの最中にあり、人々は呆然としていました。そんな時、自分の夫を見つけるためヨーロッパを徒歩で縦断したある女性についての記事を新聞で読みました。私は大変感銘を受け、この作品を造ったのです。その後、この作品は単に二人の再会を描いただけでなく、戦争をしていた国同士が再び手を取り合えるよう願いを込めていたのだと感じました」。
1995年の戦後50年に際して、ヴァスコンチェロスによるこの「和解」像のレプリカが、英国のコヴェントリー大聖堂と広島市に贈られました。コヴェントリーは1940年11月14日、ナチス・ドイツの空爆により徹底的に破壊された街です。のちに、英国軍がベルリンやドレスデンなどドイツの諸都市を爆撃したのは、その報復行為でもありました。
ベルリンの壁跡に置かれた和解の像
戦後、コヴェントリー大聖堂は「報復ではなく和解を」のメッセージを込めて、瓦礫の中から拾った釘で十字架を組み、破壊されたドイツの教会に贈るプロジェクトを始めました(「Conventry Cross ofNails」)。そのコヴェントリー大聖堂の国際和解センターから、ヴァスコンチェロスの和解の像がベルリンの壁記録センターに贈られたのは、壁崩壊10周年の1999年のこと。当時94歳だった作家自身もその場に居合わせたそうです。
コヴェントリーから広島、そしてベルリンへ。第二次世界大戦で起きた大量無差別殺人とその後の冷戦を、人類共通の問題としてとらえる市民がつないできた和解の像の意義に思いを寄せました。