ドイツ最古のクリスマスマーケットが立つアルトマルクトやドレスデン・フィルハーモニーの本拠地、文化宮殿が面する並びに、「ラントハウス(Landhaus)」があります。これは、最初の宮殿が七年戦争(1756~63年)で被害を受けた後、ザクセン王国の最初の重要な官庁の建物として1770~76年にかけてバロック様式で建てられました。クリーム色の外壁を持つ優雅なラントハウスの端に設置された外階段は、脱構築主義の特徴の1つである捻りや傾きの形態を取っていますが、両者の激しいコントラストはたびたび物議を醸し出しています。現在ここには、ドレスデン市立博物館(Stadtmuseum Dresden)とギャラリー(Städtische Galerie Dresden)が入っています。入口ホールの両サイドにある、曲線を描く階段はとても優美で、来館者の多くはここで記念撮影をしていました。
手すりの装飾と階段の曲線が
美しい入口ホール
5年間という長きにわたる会期期間を経て、このたび2010年の大晦日で終了した「ドレスデンの聖母教会(Die Frauenkirche zu Dresden)」展は、260点もの模型や図面、写真、発掘品、遺物などで構成された見応えのあるも のでした。社会主義時代、市は英米による爆撃は犯罪行為と位置付け、プレートや書籍によって全世界に訴える姿勢でしたが、同企画展のキーワードは「ルーツ・破壊・再建」ではなく「ルーツ・共鳴・再建」でした。それは、国境を超えて様々な人を巻き込んだ市民運動によって、再建へとこぎつけるプロセスを経て持ち得たドレスデン市民の素直な気持ちなのでしょう。
12世紀のバジリカ形式の初期の教会やゴシック様式の教会の模型、旧教会のレリーフや彫像、15世紀に交わされた建設のための契約書などは、聖母教会の再建にとらわれて見過ごされがちな以前の教会をよみがえらせる内容です。続いて現在の教会のコンペのドローイングや選出された建築家ゲオルグ・ベーアとの1705年10月12日付の契約書を追っていくと、聖母教会誕生までの足取りを追体験できます。
1945年の爆撃についての公式な報告書は文字のみで、冷淡ゆえに雄弁です。瓦礫から出てきた、ひしゃげた楽譜立てやモップ、バケツなどは教会の かつての日常の一部だったはず。また、教会再建を目指す市民運動の先頭に立ったトランペット奏者ルートヴィヒ・ギュトラー氏が英女王エリザベス2世に宛てた署名入りの手紙をはじめとする、再建運動にまつわる数々の展示品に、観る方の気持ちも高揚します。再建に携わった様々な職人を映したビデオからは、大型クレーンで石を吊り上げる作業から極細の絵筆を使う細かい作業までの積み重ねにより教会が完成したことがわかり、「最新技術で再建された歴史的様式のビル」という批判に一票投じていたことを多少思い直したいと思いました。
クーポラ部分の模型とコンペのドローイング案
横浜出身。2005年からドレスデン在住。ドイツ人建築家の夫と娘と4人暮らしの建築ジャーナリスト。好奇心が向くままブログ「monster studio」公開中。
http://yoyodiary.blog.shinobi.jp/