Hanacell

北ドイツの彫刻家 エルンスト・バルラッハを訪ねて

ハンブルクのアルトナ地区にある広大な美しい公園、イエニッシュパーク(Jenischpark)。その緑の中にひっそりと佇むエルンスト・バルラッハ・ハウス。1961年に建てられたこの美術館には、北ドイツの代表的な表現主義の彫刻家、エルンスト・バルラッハの作品が多数所蔵されています。

瀟洒(しょうしゃ)な外観のバルラッハ・ハウス瀟洒(しょうしゃ)な外観のバルラッハ・ハウス

バルラッハは、私が住むヴェーデルの出身です。1870年、医者の家庭の長男として生まれた彼。その生家はヴェーデル駅から徒歩5分ほどの所にあり、現在はバルラッハ博物館となっています。しかし、実際にヴェーデルに住んでいたのは2歳まで。北ドイツのラッツェンブルクで過ごした少年時代、バルラッハはよく父と馬車に乗り、病人を訪ねて回りました。幼いバルラッハの心に刻まれた病人たちの苦しみの表情と北ドイツの風景が、彼の後の作品に深く影響与えたといわれています(ちなみにこの街にも、バルラッハ博物館があります)。

その後、ハンブルクの職業専門学校で製図工の訓練を受けますが、芸術に目覚めた彼は、美術館へ通って模写をしたり、人物画を描いたりして自主的に学びます。そして1891年、ドレスデンの王立美術学校で彫刻を学びました。卒業後は、パリへの留学を経てハンブルクの工房で彫刻家として働き、戯曲を書いたり雑誌のイラストも手掛けたりしたといいます。弟を訪ねて出かけた2カ月間のロシア旅行を転機に、探し求めていた独自のスタイルを見出したバルラッハ。彫刻家として認められた彼は、フィレンツェへ研修に招かれましたが、根っからの北ドイツ人だった彼は、イタリアの太陽よりも北ドイツ特有の暗い風景を好んだのか、1910年にロストック近郊の街ギュストローにアトリエを構え、1926年まで拠点としました。

バルラッハは第一次世界大戦前は戦争に賛同し、作品も英雄を描くことが多かったのですが、自身が戦争へ行ったことでその悲惨さを体験して反戦主義者に。彼のテ-マである「人間の苦しみ」を表す作品を作り続けました。しかし1930年代初頭、ナチスによって「退廃芸術」の烙印を押され、美術館や公共の建物にあった多くの作品が撤去・破壊されました。ギュストローの教会に設置されている代表作「漂う天使」もその一つで、現在あるのは復元されたものです。ハンブルク市庁舎広場にあるバルラッハの戦没者記念碑も当時は撤去され、1950年に再び設置されました。それを見ることなく1938年10月に68歳でこの世を去り、バルラッハは思い出の地ラッツェンブルクに葬られました。

バルラッハの作品「耳を澄ます人たちのフリ-ズ」バルラッハの作品「耳を澄ます人たちのフリ-ズ」

生涯、沈黙の抵抗を続けたバルラッハの彫像たち。エルンスト・バルラッハ・ハウスのガラス張りの凛とした白い空間の中で、彼らは静けさに潜む力強さを放っていました。

静かな空間に浸れる館内静かな空間に浸れる館内

岡本 黄子(おかもと きこ)
ハンブルグ郊外のヴェーデル市在住。ドイツ在住38年。現地幼稚園で保育士として働いている。好きなことは、カリグラフィー、お散歩、ケーキ作り、映画鑑賞。定年に向けて、第二の人生を模索中。

 
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