ドイツ・デトモルト在住の稲森安太己さんは、近年活躍の場を広げている気鋭の作曲家です。6月19日から24日まで、稲森さんが作曲したオペラ『Wir aus Glas』が、ベルリン・ドイツ・オペラのスタジオTischlereiで上演されました。
稲森さんの初めてのオペラとなった今作はミュンヘン・ビエンナーレの委嘱により書かれたもので、6月頭に一足早くミュンヘンで初演されました。若手作曲家のこのミュージック・シアター・フェスティバルで日本人作曲家のオペラが初演されたのは、1998年の細川俊夫作曲『リアの物語』以来という快挙だったそうです。
オペラ『Wir aus Glas』のワンシーンから
あるアパートに住む5人の男女の7日間の生活を描くというユニークなコンセプトのオペラ。稲森さんは作品のテーマについてこのように語ります。
「以前アメリカに住んでいた時のことです。大学の研究所でコーヒーを飲んでいたら、突然周囲の冷たい視線が突き刺さりました。私は一瞬何のことか分からなかったのですが、原因がコーヒーを飲む時の音だったことに気づきました。日本では音を立ててお茶を飲むのは当たり前のことですよね。自分にとってはあまりに自明な音なので、耳に入っていなかったのです。普段気に留めて考えないような何気ない日常の中にある非日常性を、観た人が『不思議だな』『面白いな』と思うように注視してみること。これが私の主題です」
この室内オペラでは、観客は横長の舞台の両側を囲むように座り、舞台の進行に応じて客席が行ったり来たり自動で動くようになっています。目の前で繰り広げられるのは、歯磨きやトイレ、食事や皿洗いといった、日常の(それもプライベートな領域に属する)一連の生活習慣だけに、人の私的空間を覗き込むような感覚があります。
そんなこのオペラの価値を高めていたのは、やはり音楽と台本の力によるところが大きいのでしょう。管楽器と弦楽器の6人の音楽家は舞台の中で、まるで彼らもアパートの住人であるかのように溶け込みながら音楽を展開させてゆきます。驚いたことに、舞台上には指揮者もいなければ、楽譜も置かれていません。稲森さんと台本作家のゲルヒルト・シュタインブルッフさんは、綿密に構成を考えながら共同で作品を作り上げていったのだそうです。
演者と音楽家は同じ舞台に立つ
7日間の生活の中には、惰性や倦怠があり、また変化を求める意思があり、叶わなかったペーソスもあります。途中の食事の場面では、テレマンの『ターフェルムジーク』の一節が演奏され、舞台が一瞬パッと明るくなったのが印象的。閉じられた生活空間を舞台としながらも、稲森さんの自発的な音楽と登場人物の緊密な動きが見事に連関し合い、大変楽しめる現代オペラに仕上がっていました。