「あっちゃーん」という呼びかけとともに登場した、小谷さんと人形のあっちゃん。幼稚園の教諭をしていたときに腹話術を習った小谷さんは、人形と共に平和を語っていく活動を続けています。先日、海外に住む人たちに原爆を体験した人々の声を届けるべく、オンラインの証言会を企画し、それぞれ第二次世界大戦時に子どもだった小谷さんと中村さんをお招きしました。
あっちゃんと一緒に
自分が6歳の時に経験した戦争について、小谷さんは膝の上のあっちゃんに語り始めます。8月6日、とてもいい天気でした。昼過ぎに疎開先へ引っ越す予定だった小谷さんは、出発までの少しの時間、兄姉と一緒に川遊びに出かけました。乾いた喉を潤すために一旦自宅に戻った少女は、突然これまでに経験したことのないほどの眩しい光に襲われます。建物に守られた小谷さんは比較的軽傷でしたが、川辺にいた兄姉たちは熱線と爆風で飛んできたガラス破片で大火傷を負い、血だらけで戻ってきました。3歳の弟は、4日間意識不明に陥った後、母親が手のひらで小さな口に水を含ませると、「おかあちゃん、ひこうきこわいね。おみずおいしいね」という言葉を残し、息を引き取りました。
その後、幼年期に原爆を体験した中村さんが原子爆弾の基礎的な被害についてお話をしました。「爆風でかかる圧力は、象何頭分に匹敵するか」というクイズの答えに、参加者は顔をしかめていました。お二人のお話の後、原爆によって受けた心の傷、その後の人生で受けた差別、語り始めるようになったきっかけについてなど、印象深い質問が寄せられました。その一つに「当時のことを話すことで、気持ちが楽になりますか、それともより辛くなりますか?」という問いかけがありました。それに対して、「一人で話しているときは辛かったんです。でも今はあっちゃんが助けてくれます。あっちゃんがうなずいてくれることで語ることができます。そして、この話を子どもたちが聞いてくれます。今では語ることが幸せです」と小谷さんは答えます。改めて聞くことの重要性を感じました。
100名以上の方々が参加。
核兵器を包括的に法的禁止とする国際条約が4年前の7月に国連総会で賛成多数で採択され、発効に必要な50か国の批准に達し、今年1月に条約が発行されました。来年1月には第一回目の締約国会議が開かれます。核保有国、核の傘の下にいる日本やドイツのような国々は批准していませんが、「核兵器廃絶」を目指す大きな一歩です。一方で、被爆手帳を所有している人々の平均年齢は85歳を超え、被害者の体験を直接聞く時間はわずかしか残されていません。そのような状況のなかで、より多くの人に体験者の声を届けようと、今回の証言会を企画しました。ルール大学ボーフムをはじめ、さまざまな団体の協力のもと、100名以上の方々が参加し、小谷さん、あっちゃん、中村さんのお話に耳を傾けました。新たな生まれた交流を大切にしながら、今後もドイツで原爆体験を伝える活動に関わっていきたいと思いました。
【共催】ピースボート、ICAN パートナー
神戸のコミュニティメディアで働いた後、2012年ドイツへ移住。現在ブラウンシュバイクで、ドキュメンタリーを中心に映像制作。作品に「ヒバクシャとボクの旅」「なぜ僕がドイツ語を学ぶのか」など。三児の父。
takashikunimoto.net