私は週に一度、ハノーファー大学の図書館で働いています。20年前に同大学で社会学を専攻していたとき、本を借りたり自習室で勉強したりと、大学図書館にはお世話になりました。インターネットが発達しておらず日本語に飢えていたその当時、 まさか同館に日本語の雑誌や論文がたくさんあるとは 全く知りませんでした。しかも正式名称は「ドイツ国立科学技術図書館」(Technische Informationsbibliothek 、略TIB)といい、ドイツ最大の技術と自然科学の図書館だと知ったのは勤め始めてからです。
この図書館は、本館をはじめとする全5館からなり、約500人が働いています。物理や化学、数学、情報学など理系全般を網羅し、建築分野も充実。世界各国から集めた紙媒体とデジタル資料は900万件を超えます。学生や市民が利用するだけでなく、研究所や企業向けに学術論文や資料を提供する有料サービスも。昨年は革新的なコンセプトが評価され、国内唯一の図書館賞「ライブラリー・オブ・ザ・イヤー」を受賞しました。ハイテク技術を誇る日本からは、自動車や工作機械、化学、送電線など、毎年1000冊以上の専門誌を紙媒体で購入していました。翻訳せずにローマ字でカタログ化されているのは、開発や特許申請をするドイツ企業なら日本語の専門用語を知っているから。しかしデジタル化が世界の潮流となり、アジアからの専門誌購入は2019年で打ち切りとなりました。
ドイツ国立科学技術図書館の本館
私の仕事は、日本の論文や学会の題名、また専門誌の特集名をローマ字で入力すること。簡単な作業ですが、日本語が母国語でないとできません。さまざまな論文や専門誌をぱらぱら見ていて、はっとさせられることが多くあります。1960年代の論文もあり、両面印刷ができないから表面だけを印刷してページを折って綴じていたり、文章も図表も手書きであったり、色あせた紙からは研究者たちの熱意が伝わってきます。また北朝鮮で書かれた論文も、ここで初めて見ました。
最近は電子書籍が当たり前になり、世界中どこにいても書物が手に入る時代が夢ではなくなってきました。それなら世界にひとつだけ充実した図書館があればいい。ネットで検索して資料を入手できれば、箱物の図書館は不要となります。そういう未来を見越し、同館はオープンサイエンスと銘打って科学研究をサポートしたり、学術ビデオのポータルを作ったりと、多角的な戦略に乗り出しています。
中はゆったりとしています
専門誌や論文は日頃は地下室に眠っており、要望があれば書庫から取り出されますが、どのくらいの人がその存在を知っているのでしょう。私のほかに目にする人はいるのだろうかと思うことも。けれどその日のために備えておくことが図書館の重要な使命であり、それに少しでも関わることができ、とてもうれしく思っています。
ドイツ国立科学技術図書館:www.tib.eu
日本で新聞記者を経て1996年よりハノーファー在住。ジャーナリスト、法廷通訳・翻訳士。著書に『なぜドイツではエネルギーシフトが進むのか』、『市民がつくった電力会社: ドイツ・シェーナウの草の根エネルギー革命』、共著に『お手本の国」のウソ』(新潮新書)、『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)など。