ジャパンダイジェスト

森鴎外の足跡

「石炭をば早や積み果てつ」という書き出しで有名な森鴎外の小説『舞姫』は、自身のドイツ留学時代の経験に基づいて執筆されました。ほぼ同時期に英国のロンドンに留学した夏目漱石があまりハッピーとは言えない留学生活を送ったのとは対照的に、森鴎外のドイツ留学期間は現地の生活を大いに楽しみ、恋愛までするほど充実したものでした。

ベルリンでの最初の下宿先は現在、フンボルト大学の付属記念館として一般公開されており、森鴎外とベルリンの結び付きの強さはつとに有名です。そのため、ベルリン滞在以前のライプツィヒ、ドレスデン、ミュンヘンでの事実はあまり知られていないかもしれません。

ドレスデン
鴎外が毎日見たであろう風景。建物は爆撃ですべて建て替わっている

鴎外が最初にドレスデンに滞在したのは、1885年5月12日から2泊の短期滞在で、今は存在しないホテル「Zu den vier Jahreszeiten」に宿泊しました。このときにアルテ・マイスター美術館にも足を運んでいるようです。2度目のドレスデン滞在は、同年10月11日から翌年3月7日までの約5カ月あまりで、軍医学の冬期講習会への参加が目的でした。滞在期間中は、貴族の館や王宮でのパーティーや舞踏会、サロン(社交界)にも出入りするという華やかな生活だったようで、第2次世界大戦のドレスデン爆撃以前のアルト・シュタット(旧市街)に立ち並ぶ、豪壮な館での上流階級の生活ぶりを体験した唯一、あるいは数少ない日本人だったかもしれません。

2度目の滞在のときに住んでいたのは、ノイシュタット側のグロース・クロスターガッセ12番地でした。アウグスト強王の金の騎馬像があるマルクト広場から東に延びる通りに入ってすぐのところが12番地で、バルトナー博士という医師の未亡人の家に下宿していました。私自身が住むドレスデンに明治の文豪が住んでいたという事実は大変嬉しいものですが、その場所がまさに私たち家族の生活圏内であることに、本当に驚きました。またそこは、ドレスデンの目玉とも言えるゼンパーオペラ、宮廷教会、レジデンツ城など、バロック建築群の対岸に位置しており、おそらく鴎外が暮らしていた部屋の窓からは、聖母教会もはっきりと見えたことでしょう。

ドレスデン
爆撃を免れた黄金の騎馬像のある広場。
藪の辺り(左奥)がかつての鴎外の下宿先

1945年のドレスデン爆撃でノイシュタットの辺りも壊滅的被害を受け、戦後は幹線道路として整備されました。当時の名残は見る影もなく、下宿先の家の跡地は、現在は駐車場になっています。ただし、鴎外が家を出るたびにほぼ間違いなく目にしていたであろう黄金の騎馬像を見ると、いま私が同じ場所にいるということに深い感慨を覚えます。

福田陽子さん福田陽子
横浜出身。2005年からドレスデン在住。ドイツ人建築家の夫と娘と4人暮らしの建築ジャーナリスト。好奇心が向くままブログ「monster studio」公開中。
http://yoyodiary.blog.shinobi.jp/
 
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