オーストリア在住の写真家・古屋誠一氏の展覧会がクンストハウス・ドレスデン(4月2日~5月31日)およびドレスデン技術博物館(4月2日~7月12日)の2か所で同時開催されています。過日、前者で開催された「我々が見るもの ドレスデン1984-1985(Was wir sehen. Dresden 1984-1985)」を訪ねました。古屋氏は1973年以来ウィーンおよびグラーツに住み、84年から翌年にかけては、エルベ川沿いのベルビューホテル建設(鹿島建設請負)の際の通訳として、妻と当時3歳の息子と共に東ドイツ時代のドレスデンに住みました。展示は、外国人通訳としての勤務時間や幼稚園以外で、現地人とのプライベートな交流が許可されなかった当時の滞在期間に撮影した写真を中心に、44枚の白黒写真で構成されています。
Kunsthaus Dresdenの外観
広々とした展示室の白い壁に規則正しく並ぶ白黒写真は、私がよく知るドレスデンの風景や街角、建物のはずなのに、DDR(ドイツ民主共和国)という1つ前の時代のカテゴリーに属する故の威圧感があります。偶然にも金日成が乗船していたために朝鮮民主主義人民共和国の旗が翻る蒸気船、黒く不気味な巨体に見える演劇ハウス(Schauspielhaus)、廃墟の聖母教会の前に立つルター像、古い鋳鉄の橋と街並みなど。映し出された風景を見ていくごとに、ごくありふれた日常を写真家と一緒に重ねていくような気持ちになりました。決定的瞬間の撮影という欲が感じられないからでしょうか。
そして、その中に何度も繰り返し登場する女性の、哀しくも、初秋の夕暮れの一瞬の熱さをもつ太陽のような視線に惹き付けられました。レンブラントの描く妻サスキアの視線のように、写真家と女性のただならぬ強い結びつきを感じました。その女性は、1985年に自ら人生を終わらせた妻クリスティーネさんでした。恥ずかしながら下準備もせずに取材に来たことを反省しつつ、3つのスライド映写機のある部屋へ。次々と映し出される写真を暗い部屋で見ていたときに突然カーテンが開き、入ってきたその方こそ古屋氏本人という偶然。しかも、ドイツニュースダイジェストに掲載された私のプロフィール写真を覚えていらっしゃるということで、しばしお時間いただいてお話をする機会に恵まれました。「撮影した当時から約30年の時間を経て同じ場所に立ったとき、何を感じますか」という問いに対しては、「空気と場所は同じ。何も変わらない。地球という生命体の中の小さな1つの現象に過ぎないから」とのこと。
自身の写真に囲まれて古屋氏
展覧会のタイトルの通り、今は亡き「DDR時代」というフィルターがかかることにより意義と価値が生まれた写真ですが、帰り道、カメラのレンズを通して強烈に貫かれた写真家と妻の視線の「強さ」があまりにも鮮明に思い出された展覧会でした。
Kunsthaus Dresden: kunsthausdresden.de
Technische Sammlungen Dresden: www.tsd.de
Seiichi FURUYA: www.furuya.at
横浜出身。2005年からドレスデン在住。ドイツ人建築家の夫と娘と4人暮らしの建築ジャーナリスト。好奇心が向くままブログ「monster studio」公開中。
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