ジャパンダイジェスト

パサージュ街と共に生きる都市

15世紀から大規模な国際見本市が定期的に開かれ、メッセ(見本市)の都市として発展してきたライプツィヒ。その発展過程で、中心市街地には、通路の両側にテナント区画が並ぶ「パサージュ街 (Passage)」が数多く造られました。現在、これらは約30カ所にも上り、建物の間の抜け道が、通りと通りを繋ぎながら独自の景観を形成しています。市街地にこれほど多くの古いパサージュがまとまって残っているのは、ドイツ国内でもライプツィヒだけです。中庭と呼ばれる抜け道はガラスの屋根で覆われ、季節や天候に関係なく歩き回ることができます。

メードラー・パサージュ街
メードラー・パサージュ街。手前に見えるのが戯曲『ファウスト』の銅像

その中の1つ、20世紀初頭に見本市館として建設されたシュペックス・ホーフ館は、現存するパサージュ街としては最古のものです。当時、産業革命で飛躍的に発展したガラスと鉄の材料がふんだんに使われ、一部の天井には、現在の防火基準では使用できなくなった皮と銅の仕上げが見られます。建物内部で隣接するハンザ館(Hansa Haus)の光庭には、「響きの泉(Klangbrunnen)」というユニークな場所があります。これは中国明代様式の「魚洗鍋」という水瓶を復刻したもので、濡れた手で水瓶の持ち手部分をなぞると、館内全体に共鳴音が響き渡ります。

ハンザ館の光庭
ハンザ館の光庭

最も重要とされているのは、当地の商人アントン・メードラーによって1912年から2年かけて建設された、メードラー・パサージュ街です。4階建ての建物の延べ床面積は8000㎡以上もあり、13mの高さを持つ大きな吹き抜けのガラス格子の天井からは、常に光が降り注いでいます。廊内は気品ある雰囲気に満ち、近代欧州における国際的商都の華やかさを感じることができます。全長140mにもわたるメードラー・パサージュ街には、高級ブティックや貴金属店、カフェやバーが並び、広場には巨大なクリスマスツリーなど、季節ごとに華やかな飾りが施されます。さらに、地下には1525年創業の老舗レストラン「アウアーバッハス・ケラー」があります。若きゲーテも通ったといわれ、代表作とされる長編の戯曲『ファウスト』にも登場します。レストランへの階段の下り口には、作中の一場面をかたどった銅像が設置されており、ファウスト博士の靴に触れると幸せが訪れるといわれています。

ミラノのガレリアを手本に造られたこのパサージュ街は、ドイツ国内のパサージュ建築史上最大かつ最重要とされており、その壮麗な空間はライプツィヒの大切な財産です。

 メードラー・パサージュ街:www.maedlerpassage.de

ミンクス 典子
ドイツ建築家協会認定建築家。福岡県出身。東京理科大学建築学科修士課程修了後、2003年に渡欧。欧州各地の設計事務所に所属し、10年から「ミンクス・アーキテクツ」主宰。11年より日独文化交流拠点ライプツィヒ「日本の家」の共同代表。
www.djh-leipzig.de
 
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